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東南アジアの言語といえば、丸っこいタイ文字を思い出すばかりかアラビア文字やインド料理屋で見るデーヴァナーガリー文字と勘違いしてしまう人もいるはず。どういった文字がどの地域で使われれいるかは存外知られていないことが多い。東南アジアの国々であってもベトナム、インドネシア、フィリピンなどはローマ字(ラテン文字)が使われる。
前回、タイ語のフォントが柔軟すぎて日本語っぽく読めるという記事「崩されまくるタイ語と、それを利用し他国語に”擬態”するケースについて」を書いた。
今回も同じようにフォントを滞在しているベトナムの首都・ハノイで探し回ることに。しかし、50枚ほど集まったタイミングであることが頭をよぎった。どっかの国の誰かが同じことしてるんちゃうか??、と。ローマ字は欧米のみならずアフリカ諸国、オセアニア、東南アジアで広く言語の表記に使われている。しかも事実上の世界言語である英語をほとんど全ての人が学んでいるとは、イコールでローマ字を勉強していると同義。つまり、ある国・地域の言語を表記するときにローマ字が使われていなくても、広告や書籍のデザインを通して、世界中の人がなんらかの形でローマ字のフォントデザインを浴びてきたのではないかと。
もはや65億人総デザイン時代。ローマ字のフォントが日々新たに生まれている…
とすれば、ベトナム国内であえてローマ字のフォントデザインを収集して、一本の記事を書くのは、はっきり言って”分が悪い”。優れたデザイナーはいても、そこにベトナムならではを見出すのは難しいだろう。 正直どこの地域でも大差ないとさえ思っているので。
そこでこう考えた。ベトナム語の声調記号デザインにだけ着目すれば、ここにしかないフォントが集められるのではないかと。
ややこしい専門用語を出してしまったので、一旦ここで整理しよう。
■声調記号とは?
そもそも声調を持つ言語とはなんでしょうか。それは音のアゲサゲで意味を区別する言語のことです。
たとえばma má mà mả mã mạはそれぞれ発音と意味が異なります。maは「オバケ」で、màは「しかし」です。 同じ母音と子音の組み合わせだからといって意味が似通っているという訳ではありません。
chìmは「沈む」で、 chimは俗語で「チンコ」です。この二例だけで声調がどれほど重要かは分かったはず。”オバケ”の話をしているときに、”しかし”と連呼する男は冗談が通じなさそうですし、船が”沈み”つつある真っ只中で”チンコ”と叫ぶ集団がいたとすれば、その状況はもはや狂騒的であると言わざるを得ないでしょう。
これらのaやiの上にある記号を声調記号と呼びます。
■ベトナム語はいくつの文字があるのか?
ベトナム語には12の単母音があります。全て書くとa ă â i u ư e ê o ơ ôです。
quenが「慣れる」で、 quênが「忘れる」の意味なので、こちらも声調記号同様に意味の分別のためには必要です。
声調記号も母音の上の皿とか帽子みたいなやつ(以下、めんどくさいので声調記号など、もしくはそれに類する表現をします。今回の観察対象に含みます)は全体の面積における割合は小さい。その点でデザインにおいては声調記号と同様のアクセントとなりうる。だからこそ効果的な表現になっているケースもある、とも期待している。画竜点睛というか、小さな記号の工夫がデザインを完璧にしているのではないか?
知らぬ間に僕の勝手な願望を背負わされ、声調記号という限定的な場所で花咲いたベトナム看板を見てみよう。
重苦を再確認
主題こそ掲げたものの、実のところ、のっけから自分で立てた仮説の野暮さを後悔していた。先に書いたように、声調記号の面積は全体に比してとても小さい。その上、動きが出しにくい。ưとơの右上にある「ヒゲ部分」とà, ế, ìの単なる直線では動きが致命的に単調。ネックだとも考えられる。現に私が撮影できたのは水滴、葉っぱと最後に紹介するケーキ片の3種類だけ。厄介なのは、上の3枚とも必然性があって葉っぱが採用されていると感じられない点だ。
小さいからこそ可能性がある、とは言いつつもやはり画面のイメージを引っくり返すためには大きさが必要だ。これは単なる面積だけの問題ではない。見せ方と存在感の問題だ。観光地によくある特徴を大胆に捉えた似顔絵を思い出してほしい。「あなたはブスですよ」と直接表現しているのに、嫌がられないで済む最高のツールのことだ。声調記号も同じである。声調記号は葉っぱみたいな使われ方でくすぶってる記号ではない。彼ら(?)には、字全体の均整が崩れようとも、画面の中でもっと自由に羽ばたいてほしい。
たとえばこの上がるタイプの声調記号。シンプルだが実に効果的にだと思う。麺なのだから汁が飛び散るさまを表現してもいいところをお箸で表している。箸の長さもそうだが、二本あるから単なる水滴よりも目に留まりやすい。
この寿司屋さんはスペースを伸び伸びと使える店の文字デザインなので、かなり例外的。存在感の重要さがわかればオーケー。
動きが乏しい、というか動きを作りにくいのを逆手に取った成功例もある。ハズレ感が最も甚だしい、詰まる音の声調記号(mạなど子音字の下にある●)を見てみよう。
ホアンキエム区のチャンビンチョン通りで撮影したカニ料理屋さんNgọcだ。ちなみにNgọcは宝石の意味。色彩のコントラストによる効果も要因だが、ọの声調記号がひとつの点によって存在感を出している、とも読めないだろううか。次の項で詳しく説明するが、元の意味と声調記号のデザインが一致していると、そのささやかな工夫、デザイン、遊び心に思わず拍手をしてしまう。売れっ子漫才師が主演ラジオ番組のリスナーにしか分からないノリをテレビで披露しているときの嬉しさに近い。たとえスベっていても、僕には届いてるよ、来週火曜深夜に詳しく聞かせてよ、と一体感を持てる。街を歩きながらフォントデザインを通じて僕は会話をしている。(誰と?)
上の7枚から導きだした説
- 動きを出しにくいor小さくて存在感のない声調記号等は次の条件を満たすと効果的かもしれない
- あざとくても強調する
- 一点集中で存在感のある置き方をする(色、形、縁取り)
- 元の意味と声調記号のデザインに関連性があると、興奮する
以上を踏まえて、次の項では声調記号単体ではなく子音字を巻き込んだ、もしくは元の意味を反映させたデザインを深掘りしてみる。記号と記号の共犯関係が読み解けると路上観察はとても楽しい。
子音字との融合
iの下の声調記号のデザインはいたってシンプル。悪く言えばデザイン性の欠片もない。しかし、女性に見立てた子音字のiが空間に現れたブロックを踏み台にして佇んでいると考えると、どうだろう?ブロックに足をつけることで、女性がある種のディスプレイなっているとまで思えてくる。声調記号が子音と関わりを持つ。たったそれだけ。声調記号が外の社会(=子音字)と関わりを持つとこうも世界が開けて見えるのか。
これが婦人服店というのも好感が持てる。こだわりのある一着が手に入りそうだ。そういうエリアに立地しているわけではないけれど。センスのいい人が街の外れにも増え出したのは素直に嬉しい。
ところで、こうした文字デザインはハノイ市のどのエリアで多く見られるのか?
ハノイ市内でいい看板デザインが撮れそうなエリアをザッとあげてみた。詳細は以下に。
1 ホアンキエム:一般的なハノイ観光の中心地。旧市街の中にバックパッカー街があり、古い町並みと卸売りなど業者向けの店が多いながら、年々洗練されたお土産屋さんやレストランも増えており、看板も多様化しているのではないかと思った。
2 ホータイ:特に湖の東側は高級レストラン、コンドミニアム、外国人向けジムが立ち並ぶ。サンリオランド建設予定地でもある。ホアンキエムと同じ理由でフォントがたくさん集められると踏んだ。西側はたくさん歩いたのにこれといった思い出がない。
3 バーディン:文廟やホーチミン廟、タンロン城遺跡、軍事博物館など主要観光地が並ぶエリア。ホアンキエムほどではないが、観光客が行くような中級店も多々あり、人の往来も多め。
4 ハイバーチュン:観光エリアへのアクセスもよく、ハノイ駅やショッピングモールに加えて日系企業のオフィスもちらほら。ハノイで一番住みやすいと思っている。ハノイ工科大学や国民経済大学など若年層も多く、一部では学生が共同経営しているカフェもあるため、新しい風が吹いているのではないかと。
5 ザンボー周辺:ザンボー、タイハー、サーダンなど大きい道路がある。よって、一般ハノイ市民にとっての中心地でないかと判断した。ハノイ大学や貿易大学、ハノイ医科大学など有名大学が集まるエリア。
と5つに分けてみた。(カウザイ地区がないんだけど?)(キンマー通り入れてないのかよやり直せ)(ミーディン区入れてないのはニワカww)(ちなみに私が留学していた90年代のハノイでは… )のような声は無視する。
これらの中だと圧倒的に4のハイバーチュンで多くの文字デザインを撮影できた。なぜだろうか。どれも活発なエリアだ。ホアンキエムもバーディンも中心的観光地で外国人が多い。それなのにハイバーチュンよりも数が少ない理由は、ホアンキエムにある旧市街は古い街並みが売りで今も卸売商店が多く、toCに特化している店の割合が多いわけではないことも挙げられよう。しかし、私は外国人観光客の存在がもっと大きな要因でないかと考えている。
確かに観光客が多いとtoCの店は増える。しかし細々と声調記号で遊びをきかせたデザインよりも、店名が英語風であったり、文字本体をいじったり、上のアダルトサイトのように誰もが知るデザインをパロディにした方が圧倒的にウケるというのが本音ではないだろうか。
2のホータイエリアも然りである。外国人向けのちょっとお高めなお店が軒を連ねるところに、そんな遊び心は求められていないはず。勿論ローカル店舗もあるが、少なくとも私は見かけていない。全てを調べたわけではないので悪しからず。
思うに声調記号のフォントデザインとはベトナム語が分かる者にとっての「内輪ノリ」である。聞こえは悪いかもしれないが、僕はあらゆる笑いの中で内輪ノリが一番強いと思う。さらに言うと、その範囲は狭ければ狭いほどウケは大きくなる、みたいなことをとあるギャグ漫画家も言っていた。
たとえば、僕は一度たりともおもしろいと感じたことはないが、海外で見るインチキ日本語愛好家も同じではないか。あれは①日本語母語話者で、②自分の外国語を晒される恐怖をあまり理解しておらず、③無神経な人間の数少ない娯楽なのではないかと思ってしまう。内輪ノリといえば内輪ノリだ。変さを笑うよりも、そこに一貫した方法論やデザイン性が読み取れたり、見いだせるときにはじめて僕はおもしろいと思う。
話が逸れた。より多くの人に訴求する表現手段は他にいくらでもある。フォント以外のイラストでもいいはずだ。そんなモノは、よその観光地に行けばいくらでもサンプルやヒントを拾える。声調記号などというニッチな「内輪ノリ」が大多数の外国人観光客にとっておもしろいだろうか?僕は到底そうは思えない。ただし、外国人観光客の「内輪ウケ」というのは一定数存在する。
セブンイレブンやPornhub風の看板は明らかに外国人の目を意識している。つまり、狭ければ狭いほどウケがいい「内輪ノリ」を目指す以上は、外国人向けにはラテン文字をちょろちょろ弄るよりも、企業ロゴやキャラクターなどの意匠を丸パクリしてしまった方が効果的なのだろう。わざわざ怒ってこないだろうし。と、観光エリアに声調記号”等”のフォントデザインが少ない理由について、超牽強付会なファインプレーを自分でこしらえてみた。ただし一つの例外を除いて、だ。
例えばこちらのマッサージ屋tantraは文字がデーヴァナーガリー文字っぽい。こちらはインド大使館から車でおよそ2分という好立地ゆえに文字を使った「内輪ノリ」を疑わざるをえない。もともとこの通りに大使館が集まっているので偶然かとも思ったが、バングラデシュ大使館が少し離れていたので意図的にやっている可能性が高い。
実際はTân Tràというありふれたベトナム名のマッサージ屋で、声調記号とスペースを取り払うとtantraでヒンディー語っぽい響きだなあと看板のデザインまで変えてしまった程度かとも思う。いや、そう思いたい。
ちなみにベトナムでVIPマッサージは一般に性的なサービスを含む店を指すことが多い。インド大使館と近い、VIPである、タントラ…インド大使に怒られたくないのでこの辺で切り上げる。ご興味のある方はめくるめくカーマスートラ体験をどうぞ。(セックスヨガ仏教ってなんやねん!)(Mr.Childrenとかブラックマヨネーズみたいに真逆の概念くっつけるネーミングやめろ!)(by 素人の研究社)
では伝統的(?)というかよく見かけるフォントを見てみよう
こうしたよく見かけるフォントはいくつかの種類に分かれる。
- レトロ調で縦に長かったり、看板のスペース等の問題で変形を余儀なくされたと思しきフォント
- 太字で誰が読んでも分かる多義性もなく解釈も別れない分かりやすいフォント
- びっくりするくらいの達筆
さらに付け加えるなら、どういう商材を扱っていても90%以上で普通のフォントが使われている商材がある。上で挙げた仏具と自動車部品。他にも薬局、医療機器、建築資材、印刷屋、ボールベアリング販売代理店などはあまりそうしたデザインが施されない傾向があるようだ。確かにオシャレがきっかけとなってカフェに行くことはあっても、ポップゆえに医療機器なんて買わない。断固品質重視。
で、この記事で長々と紹介している声調記号に遊びをきかせたデザインが生まれたのは最近(いつ?)(要出典)(Wikipediaか)(サイト名見てください)(ここは”素人の研究社”)ではないかと予想している。少なくとも2014年には街歩きがこんなに楽しくなかった。
ベトナム語の書籍であれば、読者の大多数は当然ながらベトナム人。つまりベトナム人にとっての「内輪ノリ」が散見されるのも必然的だ。ただこれは看板でないのでノーカウント。
技術の限界、客の慣れ
宝石の意味も持つカニ料理屋さんNgọcの声調記号が真珠のようにデザインされていたり、鍵の意味を持つchìa khóaのóのデザインが鍵そのものであったりと、意味とビジュアルがリンクしている看板には美しさがある。
葉っぱや水滴でお茶を濁しているデザインと比べると、圧倒的にこの2枚の方が好き。しかし、この美しさはただ美しいだけのような気もする。声調記号の中での優等生というか。粗削りだけど、興味がそそられて、あっと言わせるようなフォントではない。
これは少し惜しいフォント。なぜ惜しいかは後述する。
そういう不満を開陳して分かったことがある。全くもって元も子もないが、文字単体でのデザインよりも圧倒的にダイナミックさが欠けている。声調記号が子音と一緒にデザインされれば効果的ではあるが、ただそれだけである。根本で声調記号が声調記号であることに囚われているようにも思う。技術じゃないんや、技術じゃないんや…
やはり文字がイキイキと動いていると魅力的だと思わされるデザインの数々だ。特にラオス料理屋のパゴダの描き方はナイス。村上春樹のエッセイに『ラオスにいったい何があるというんですか?』があるように、何も無いか、タイの延長と思われがちで希薄なラオスの存在感をあの一文字で表してくれた。奇しくも「ラオスにいったい何があるというんですか?」と空港で村上春樹に話しかけたのはベトナム人だ。ここはベトナムの首都・ハノイ。大興奮。
話を戻すと、繰り返してきたように全てのキモは声調記号と子音字との融合に尽きる。ただし婦人服屋・trinhは台座のデザイン性のなさがネックで、ケーキ屋thu hươngは絶妙によさがあるのだが、カラーリングに問題がある。ケーキ、緑色やんか。
声調は一部か、声調が全体か
膝を打つ、とはまさにこの看板を見たときのことを言うのだろう。おこわ屋さんのôの上部分がレンゲになっている。そこまでは普通。oを少しひしゃげさせてまで茶碗の形にしてしまうところに執念深さとダイナミックさがある。即入店だ。
ケーキ屋のThu hươngに足りていなかったのはケーキ部分の作り込みである。具体的によく作られている看板は以下の通り。
Gàとは鶏肉の意。àの声調記号といえば、動きが出しにくくてよもや単調になる恐れがあると記事の序盤に説明した。そこで看板に筆記体のaを採用し、声調記号とラテン文字aとセットで斜線の動きを作り、全体をトサカ込みの鶏に見せている。天晴れだ。
Hồngは人名なので意味とデザインに関連性はないが、声調記号と子音字が見事にマッチしているので採用。電話アプリのアイコンが揺れるさまを文字に見立てた観察眼が光る。このカフェは鎌倉時代の武士みたいな絵が壁に描かれていたりとカオスな面もあるので、デザインの唐突さに不自然さを感じることはなかった。
最後に僕が最も理想的だと思うデザインを紹介して終わることにする。正式名称はLẨU QUÁNで、LẨUは鍋という意味。鍋料理やということでẨのAをタジン鍋・火鍋のようなフォルムの容器に見立てて、声調記号部分を湯気としてデザインすることは容易に想像できる。ここはそれだけで終わらない。LẨUのLをおたまとして見立てて、デザインの範囲を広げている。声調記号に始まり、子音が子音を呼んだ。どちらかに偏ることもない。それをもう少し抽象化したのが左端の絵だ。
ところで真偽は定かでないが、かのAV男優加藤鷹は「コンドームをつけない男はあいさつをしない男と同じ」という名言を残したらしい。至極まっとうだと思う。同じくして僕は「声調記号をつけない男はすばらしいフォントを見逃す男と同じ」と伝えたい。