東大阪にはベトナムがある。近鉄布施の駅前にある。多分いまもある。しかし、少なくとも横浜の中華街や鶴橋のコリアンタウンとは異なるしヤシオスタンとも称される埼玉県八潮市とも状況は違う。
何が違うのか。
1軒のベトナム食料品店「NT Mart」に一瞥しただけでは処理しきれないほどのベトナムが詰め込まれているのだ。二度見必至である。
実はベトナム全土に展開するコンビニ「ヴィンマート」にそっくり。(現在はWinmart=ウィンマートに改称)現地在住者であれば、この金星紅旗カラーリングに見覚えあるはず。
勘違いしないでほしいが、配色が同じだからといって、イコールベトナムだと言うつもりはないし、パクリデザインを開き直る無神経さを指摘したいわけでもない。私が言いたいのは東大阪のNT Martは異様なまでに存在感があることだ。コンビニに存在感などないはずなのに。
2021年末時点で在日ベトナム人の数は韓国人を超えて約43万人いるという。中国に次いで2位だ。需要あれば供給ありで、地域によるものの、ベトナム食料品店は決して珍しい店ではなくなっている。
では、なぜ、ただの食料品店・コンビニが私の足を止めるのか。それはコンビニ(≒インフラ)というありふれた存在が、見れば見るほど、そのディテールによって周囲の環境から切断されて特別に写るからだ。この佇まいだけで、多くの人が考えている以上にベトナム的な情報を読み取れる。それを解説してみよう。
配色
上述の通り、ヴィンマート同様にベトナム国旗と同じ色が使われている。赤色の台形が黄色で囲まれているのも同じ。
住所
右下に「東大阪市足代〜、」と住所が書かれている。このように店の軒先に住所を書くのはベトナムで一般的。道の左右で偶数奇数の番地が振られており、たとえばバイクタクシーで「マイハックデー通り80番までお願いします」と言ったとする。ドライバーは脇をチラチラ見ながら番地を確認。加速、減速、歩道乗り上げ、急なUターン、逆走を組み合わせて目的地へたどり着いたものだ。
軒先の写真
だいたい2、3品は売り切れている。もしくはそもそも扱っていなかったりする。行った時はハムのゾートゥーがなかった。(怒ってないですよ)
屋台
路上占拠ではなく、車輪がついているから土地の占有にあたらない…とかそういう議論はどうでもいい。美味しいパンと書かれた宣伝文句はbánh mì ngon(美味しいパン)を直訳したものだろう。純粋さ、ひねりのなさ、気の衒いのなさ。美味しいかどうかを決めるのは俺たちなのに…
まずいパンを買うつもりなど毛頭ないが、独特の言語感覚で訴えるのはあまり見たことがない。日本以上に決まりきったフレーズ、もしくは○○(名詞)+ngon(美味しい)というフレーズで売り出すのが本国でも多かったような気がする。
横にFacebookを要チェックとの張り紙があるのもまたミソ。使うSNSで国の違いが如実に出る。屋台型店舗に限って言えば、貼られているメニューが売り切れることは少ないのはなぜだろうか。
企業ロゴ使用
Oishiはフィリピンを拠点とするスナック菓子メーカー・リウェイウェイホールディングスのブランドでベトナムでも広く販売されている。当たり前の話だが、この店がOishiの正規販売代理店や日本の駐在事務所というわけではない。威信のためか、こうしたブランド名がそのまま店舗の看板に使われることがある。往往にしてあるのは、ここはたまたまスターバックスコーヒーという名前のコーヒー店であって、たまたまお前の想像しているスターバックスではないだけみたいな話。困る。(怒ってないですよ)
もちろん店内に足を踏み入れれば、魚醤などの調味料からトロピカルフルーツ、香草、アヒル肉が売られている。ルームフレグランスなど焚いていない、コンクリート無菌室と南国の匂いのミクスチャーである。
以上、よくあるベトナムが幾分は立体的に見えたかと思うが、さらに偶然とこじつけの産物がここにある。
何に見えるだろうか?
おそらくは鶴(chim lạc)だと思う。鶴はベトナムの国産み神話にも描かれており、ドンソン文化の銅壺にも文様が見られるなど、民族の起源を体現する動物だ。
教科書などで見るドンソン文化の文様。よく見ると鶴が描かれている。
iVPT国際ベトナム語能力試験のWebサイトでは鶴の折れ曲がりをVietnamのVと見立てているように、馴染み深い動物である以上にポテンシャルは高い。飲食店などで見たことはないが。
ここで東大阪市の市章を見てみよう。
東大阪の「ひ」の形をした平和の象徴である鳩が描かれているわけだが、いかにもNT Mart然としているではないか!前述の通り、鶴の絵を看板で見たことがないため、少し疑ってしまう。
幸田文『崩れ』の解説で、川本三郎が風景について以下のように書いている。
風景というものは誰かが発見するものだ。自然状態としての風景はいつに時代にもただそこにあるだけで決して美の対象にはならない。しかしある瞬間、誰かが畏怖と感動の念でそのなんでもない風景に美を感じたときに、その風景は意味づけられ、周囲から屹立する。「風景の発見」である。
この文章での「風景」はあくまで、崩壊した山や荒廃した川を綴ったを指している。が、私はこのなんでもない食料品店に、同じように風景の屹立を感じた。発見した。しつこいまでのディテールと再現性への執着に加えて、市章の鳩とドンソン文様の鶴が偶然にしろ、あまりにも近似しているからだ。
それゆえに、足を止めて、二度見までしてしまった。
さらにベトナム盆栽(núi nôn bộ)や戸口の守り神、背の低すぎるプラスチックのスツール、中国将棋の盤が彫られた机など細々としたアイテムを配置し、なんとなくクリスタル式にイメージを繚乱させ、もっとコテコテの”クサい”ベトナムを再現することも不可能ではないだろう。しかし、こちとらなんもなく東大阪である。そうした過剰さは、日本にあるベトナム食料品として、ナチュラルなベトナムイメージへのアクセスがシームレスではない。浅草にあるような訪日外国人御誂え向きの飲食店で日本人が感じる特有の落ち着かなさにも似ている。
フワフワしているベトナムのイメージをパキッと、かつ自然にまとめあげる塩梅。これぞ造化の妙とでも言うべきか。でも2020年にマスクの高額転売はあかんよ。
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