子供の頃、確か戸籍を見る機会があったときに、自分が長く慣れ親しんでいた住所に実はずっと省略されていた「字(あざ)」があることを知って軽く驚いたことがありました。周囲にあまり家のない田舎の方だったこともあり「これ無くても届くから」というのが説明でしたが、それによって町や村より更に下のカテゴリーである大字、小字という存在をその時知ることになりました。
それから数年後、半年ほど生まれ故郷の市役所の臨時職員をしたときのこと。そこではあらゆる取りまとめの単位が町や村より地区、大字、小字といったそれまであまり意識してこなかったより小さな単位で行われ、おおざっぱに市や町で認識していた枠組みの中に実は存在した地区、字ごとの地域特性、歴史といったものをすることとなり生まれ育った故郷の見え方が大きく変わりました。街の中に隠された地域の年輪としての大字、小字に妙な魅力を感じたものでした。
こうした地区、大字、小字を日ごろの生活の上ではあまり意識することがありませんでしたが少し前からカーナビの存在により自ずと我々の前で存在感を示すようになってきたように思います。
こちらは愛知県東浦町大字藤江字ヤンチャを発見した時の写真。カーナビがなければ「ヤンチャ」というカッコいい名前の字に出会うことはなかったことでしょう。機種にもよりますが既存カーナビであれば日本の住所をこのように階層で調べていくことから町名、大字、小字と地域を見ていくことが出来るように思います。(藤江という大字に対し「主要部」が存在するのが非常にそそりますが)
こちらがヤンチャ一帯を示す地図です。工場、田畑が支配する非常にヤンチャなエリアです。
これは畑しかない山を示したカーナビの画面ですが、小字のいいところはこういう何でもないところにもきちんと丁寧に名前が付けられているところです。そして名前が割と良い。赤ジャリはきっと赤ジャリが取れるのだと思います。先ほどのヤンチャもしかりですが、カタカナであるほど地名が古くからつけられたのかもと勝手に推測しました。大分昔の話ですがカタカナは公的な文書に使っていたんで文書には残ってるけど漢字が分からんようになったのでカーナビではカタカナを使ったとか。
こちらは完全なる広大な水田のど真ん中につけられた東京太郎、西京太郎という地名。境界が完全に消失している田畑に細かく名前を付いているのも元々はそこが水田や畑じゃなかったという事なのかなと思いました。
古くて小さな地名の単位が段々と意識されず、時には開発などで事実上その機能が消失してしまったとしても各年代のカーナビにはこうしてデータとして残っているのだとしたら古いカーナビはコレクション性があるように思えてきました。
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