壁に埋まるように存在する小さいドアの観察

絶対に三密にならない会社素人の研究社で働く私ですが、不要不急の外出をせず、日々の散歩の合間、生活の隙間に細々と調査をしております。

今回は小さいドアを観察しましたので皆様にご報告したいと思います。

小さいドアとは読んで字の如く小さいドアのことです。写真のドアを見たときに、思わず「…小さいドア」と道路脇で声を発しました。

一般的にドアと呼ばれるものはだいたい180センチ前後だと思います。自宅のドアはほぼ毎日使用されるもので、屋内と屋外との通過点であるドアをストレスなく通り抜けるのにちょうど良い高さに設計されていると解釈しているのですが、一方小さいドアはどうでしょうか。今回私が指す「小さいドア」とはだいたい145センチ以下のドアと定義しました。162センチの私が足を曲げ、頭を下げ、屈みながら通過しなければならないストレスフルなドアを小さいドアと定義しています。

↑私と小さいドアの比較写真。紹介するドアの大きさはだいたいこのくらいか、もしくはこれより小さいです。

より調査に正確さを求めるのであればドアの高さを測って記録すべきだとは思いますが、そこまではしておりません。何故ならば人の家だからです。

これから写真を紹介するにあたり「このドアは別に小さくないのでは?」と文句をつけたくなるものもあるかもしれません。その時は上記の「私と小さいドアの比較写真」のことを思い出してみてください。そして私のことを信じてください。今回紹介しているドアはみんな私よりはるかに小さいドア、小さいドアの写真です。

小さいドアの紹介

街を歩き小さいドアを観察してみると、小さいドアは主に築年数の古いお宅で見かけることが多いです。家の裏の出入り口として設けられたドアは塀の高さの兼ね合いで小さく設計されていると観察されます。

▲年季の入ったドアが多く、くたびれた様子ですがどこか温かみも感じられます。

▲コンクリートの縁取に収まる小さいドア。鍵穴もありますね。

▲スライド式の小さいドア

▲「引く」の札がつけられた小さいドア。家主以外にも裏口から人が出入りすることが多かったのでしょうか。そういえばサザエさんに出てくる三河屋のサブちゃんは必ず勝手口から入ってきますよね。

▲ドアとレンガの配色のバランスが可愛い小さいドア。温もりが感じられ素敵です。

▲塀の側面に設置された小さいドア。先ほどのお宅とは打って変わってこちらは無機質な印象です。

▲スケルトンタイプの小さいドア。何故スケルトン。おしゃれですね。

踏み段と小さいドア

小さいドアと一緒に踏み段にも注目して見ましょう。

▲コンクリートの踏み台、さらにラバーステップで段差を無くして整備されている点から使用頻度は多いと見なされます。

▲踏み台が階段になっています。階段にして利便性を図っているのでしょうが、踏み外しなど返ってトラブルが発生しやすいのではないでしょうか。

▲勝手口と思われる小さいドア。踏み台まで設置しているということは使用頻度は高そうなのですが、毎回毎回身を小さくして出入りしているのかと想像すると苦労が伺えます。ポストの設置位置も少々不自然に感じます。

▲踏み台と思われる頼りなさげな石。苔の存在とドアの色味から侘び寂びが感じられます。

小さいドアとチャイム

小さいドアにはなんとチャイムが設置されていることもあります。

すみきり部分に設置された小さいドアとチャイム。絶妙です。

正門横に設置された小さいドアとチャイム。実は正門にもチャイムが設置されおり無駄の極みのように感じられたのですが、正門との使い分けが気になります。

▲どうしてもっと大きなドアにしなかったのでしょうか。チャイムではなく結構良いインターホンが設置されています。

上記のように塀の高さとは関係なく小さいドアが設置されているケースもありました。内装の問題なのでしょうか、外観からはよくわかりません。わかっているのはドアが私より小さいということです。

▲南京錠がぶら下がり厳重な小さいドア。倉庫でしょうか。

 

考察

このように小さいドアを観察してみると築年数の古い大きなお宅に付随していることが多いようです。小さいドアと関係が深いとみなされるのが勝手口の存在で、おそらく小さいドアがあるご家庭には勝手口も設計されていることが多いと予測されます。「勝手」とは台所を指す言葉で、台所に設置された出入り口を「勝手口」と呼び、ゴミ出しや買い物の際に利用されるようです。

家庭の裏口につながるドアが小さく設計されている点について、塀の高さの問題だけではなく

・表である玄関に対して裏口であるという意味を強めるため

・そもそもサブ的な役割なのでミニマムで良い

・または主に台所、勝手口を使っていた女性のその当時の地位とも微妙に関係?

といった生活様式や文化、機能、社会的背景などの理由が関係しているのかもしれません。

しかし近年では防犯や設計、そしてそもそも勝手口はいるのか?という必要性の問題から、勝手口・そして小さいドアの存在は失われつつあり、昭和の遺産と化しているようです。

また、紹介した小さいドアをだいたいの大人が足を屈め、頭を下げて通過していく様子を想像すると何故か温かい感情を感じました。それはお辞儀をする・暖簾をくぐるなど頭を下げたり身を屈める日本の風習が私をそうさせたのではないかと考えました。