ペットボトル、瓶、缶…路上で第二の人生を歩むお酒の観察

お酒は、私にとって日々の楽しみの一つでした。

仕事から帰ってまずすることと言えば、冷蔵庫を開けてビールを飲むことでした。晩御飯を作りながら飲むビールの美味しいこと。キッチンドリンカーとまでは言いませんが、料理を作る上でお酒は私にとって大切な材料の一つでした。

飲み屋に行くことも好きで、友人と行ったり、一人でふらりと飲みに行ったりすることもしばしば。

お酒は私の生活に潤いを与えてくれました。

しかしそんな心の拠り所、お酒としばしのお別れを余儀なくされる出来事が起こりました。それは「妊娠」です。

妊娠が発覚してからと言うもの、あたり前ですがお酒は飲めません。妊娠が終わってもしばらくお酒は飲めません。授乳するからです。

私の心の友だったはずなのに…しばしお酒と離れ離れになった人生に寂しさを感じていました。

そんな気持ちで過ごしていたある日のことです。

トボトボ歩いていると焼酎のペットボトルが多国籍料理屋で働いていました。以前は室内勤務であったと思われますが、現在はなぜか屋外で植木鉢とともに出迎をしています。「焼酎ボトル」でありながら「焼酎ではない液体」が入っていることは予測できますが、中途半端な水量の液体は何のためのものなのでしょう。

何のため?

何のためかはわかりませんが、酒のボトルでありながら酒ではなくなった姿を面白く感じました。

こちらの焼酎も現在は焼酎ではないであろう液体を入れられ活躍中。モップや洗剤とともに置かれる様子から、現在は清掃員として新しい人生を歩んでいるようです。

このように町をウロウロしてみると、あちこちでお酒の姿を確認できます。私は気付きました。お酒は飲めない妊婦ですが、路上で酒を見て楽しむ分には何本分であっても胎児には何ら問題がないってことを。

そこで今回は妊婦が路上で見かけたお酒の観察記録を発表していきたいと思います。

 

戦う酒

ペットボトルに水を入れてプランターや電柱の周りに配置をし、動物が近寄らないようにするこちらの様子。2L飲料水のボトルを用いることが多いですが、焼酎ボトルで猫よけをするお宅からはいささか貫禄が感じられます。

まけないでほしい。

気迫を感じるこちらも、おそらく動物から畑を守るためのものなのでしょう。主の声を焼酎ボトルが代弁しているようでいいですね。

こちらも畑の様子。現役の頃はキレッキレのキレ味が売りでしたが、現在はサカサマになりながらカラスに奮闘中の模様。農作業をする人はお酒好きが多いのでしょうか。

畑仕事をがんばるお酒の姿をよく見かけました。

畑仕事が嫌になり逃げ出した者も見かけました。この業界にも適材適所があるようです。

さてこちらは店先に焼酎ボトルが集結しています。何かを守っているのでしょうか。一体何が目的なのでしょう。

もしかしたら意味なんてないのかもしれません。

野酒

上記では動物から畑を守ったり清掃道具として活躍している忙しそうな酒ばかりを紹介してきましたが、私、社会活動をしている酒だけに良さを感じているわけではありません。

なんだよただのポイ捨ての写真だろうが!と思われるかもしれませんが、よく見てください。

ストロングゼロが寝っ転がって昼寝を楽しんでいる様に見えませんか。この風景を見て気がついたのですが、ハルジオンとストロングゼロって相性がいいですね。色合いが似ているからなのでしょうか。それともハルジオンの別名が貧乏草だからでしょうか..

こちらは酔いつぶれて木陰で休む金麦の様子です。そよ風を感じられて気持ちが良さそうですね。日が暮れるまで目を覚まさないかもしれません。そっとしておいてあげましょう。

一方こちらからは諦めを感じます。全てが嫌になり、無気力で、生きる目的って何だろう。そんなことを思いながら空を仰いでいるストロングゼロ。

ところで私は気がついたのです。

生まれ育ったわが町に落ちている酒の缶は、だいたい安価なものであると。

場所は変わってこちらは原宿駅前。赤ワインが置き去りにされていました。やはり原宿ともなると街で見かけるお酒もオシャレなんですね。存在感のある赤ワインが違和感なく町と調和しています。原宿の賑やかさとワインの鮮やかさが様になる1コマです。

このように路上で観察したお酒から、物語を感じたり美しさを感じる瞬間が多々ありました。

路上に放置された酒のボトルや缶はゴミ。だけど見方を変えるだけで生き生きとして見えてくるから不思議なものです。

こちらは廃墟となったスナックの前で撮影しました。中身が水だか焼酎だかわかりませんが焼酎ボトルが野生化し、ひっそりと草花と共に生きているように感じられ心が和みます。

ところでこのお酒、サントリーの甲類焼酎「大家族」という商品なのですが、この商品を調べてみたところサントリーのホームページに「大家族」という焼酎の存在が見当たりません。

市場から消えてしまった酒なのかよくわかりませんが、もしそうであった場合この焼酎ボトルが野生化してから随分長い月日が立っていると推測されます。

春夏秋冬何年もの間、この場所で時を過ごしてきたのでしょうか。

「ひっそりと草花と共に生きているように感じられる」

事実そうなのかもしれません。

私にとってお酒は日常の悲喜に寄り添い人生を豊かにしてくれるものです。お酒を飲むことはまだ当分できませんが、しばらくは路上のお酒を眺めほがらかな気分になることで満足しようかと思います。

しかし路上に放置されたお酒から私と同じように「物語を感じる!」「美しい!」などと賞賛の声が挙がったとしてもゴミはゴミ。

飲んだらきちんとゴミ箱に捨てるか持ち帰るかするようにしていただきたいものです。