手製の焼却スペースの観察

住宅街を歩いているとゴミなどを焼くのであろう、庭に焼却炉が設置されている家を時々見かけます。僕も子供のころは田舎に住んでいたものですから、家の前の道で枯れ葉やゴミの類を燃やすべく焚き火をすることがありましたが、燃えている火をただ眺めてるだけで結構楽しくて火を絶やさぬように見張る行為も含めて、ちょっとした娯楽でもあるんですよね。

 

でもよく考えるとこういう風に庭でゴミを焼く行為って、よく考えるとそう簡単に出来るモンでもないなと最近思うわけです。自分の庭で火を燃やせる方々っていうのはある程度敷地に余裕があって、且つ周囲のコミュニティとの繋がり、信頼関係がきちんとしている地域でないとなかなか自分のペースで好き勝手に出来ることでもないぞと、そう思うわけです。

 

この、人の「燃やす」行為に注目して街を歩いてみましたところ街中には結構手製の焼却スペースがゴロゴロしていました。焼却スペースを中心にその家や周囲との関係が何となく想像出来て日常における特別の場所のように思えてきました。

 

特に今回探したのは手製の焼却スペース。

学校にあった焼却炉のミニチュア版のような立派な市販の焼却炉もそれはそれで年季が入れば使い込まれた道具としての魅力が出てくる面白い観察対象なのですが、今回はそれには及ばない簡易的な場所。

ここまで2つ紹介したようにドラム缶を立てれば成立することが多いのですが、深くて熱に割と強く、何よりそれ自身が簡易的な煙突のような形なので横方向に煙が拡散しないということも考えてのことなのでしょうか。

 

見る者として面白いのはこういう段々形成されていったようなツギハギだらけの焼却スペースです。

この形に至るまでの苦労が見て取れて面白いじゃあないですか。色んなパーツが寄せ集められているのがとてもよいですね。人の手で、工夫の結果段々作り上げられたモノは見ていて楽しい。

 

何度も繰り返し燃やした形跡がその場所に年季を与え、妙な深みを与えているように思えてきます。

素人の研究社では引き続き手製の焼却スペースを観察、収集していきたいと思います。