不意に買い物カートが人間味を帯びる事象について

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隣町に住む父が、私の住む街のスーパーに入店していく姿を見た。100kg超えの巨体を杖で支えながら歩く姿は、親族でなくとも目に止まるものだと思う。仕事終わりで早く帰りたいのだろうか。とにかくめちゃくちゃ急いだ様子で買い物カゴを手に取り、店内へと吸い込まれていった。久しぶりの再開で私は唖然としてしばらく立ちすくんでいた。声をかけるかかけないかかなり迷った。数分経過したところでもう一度姿をみたいと、私は店内に入ったが、無駄に動きが機敏なタイプの肥満であることを思い出した。もう彼の姿はなかった。

 

スーパーは気取らない。売買が目的であり、いかに客に商品を手にとってもらえるかが重要だ。いつからできたのか、誰が開発をしてくれたのか、スーパーには買い物カートがある。店内を一周する上で買い手側の負荷を最小限にし、効率的な買い物スタイルを確立することができる。もうこれはすごい代物だ。買い物かごは妥当かなと思うが、買い物カートの存在は頭一つ抜きん出ている。

 

私の住む町は図々しく逞しげな住人が多い。それは平均年齢が高いことも関係しているかもしれない。社会から離脱すると、人の目はさほど気にしなくても良い。そうすると内なる図々しさは解放される。私はこれが人間のあるべき姿でもあると思う。

そして図々しさの側には買い物カートの存在があることに気づいた。

買い物カート。その便利さに依存する人はやはり多い。店内で使うことはもちろんのこと、その使い心地の良さから店外まで持ち出している人も少なくない。これは駅前のスーパーから徒歩7分くらいの場所に放置されていた買い物カートだ。前線から離脱し、一休みできて嬉しいようにも見えてくる。

 

この町はカートが外を飛び出すことが多いことがあり、わざわざ最終カート返却場が設けられている。でもカートにとって外に出ることは良い経験になっているのかもしれない。自分の意思では外には出ることができない。自分の知らない世界はいつだって新鮮なはずだ。

 

群れ

買い物カートは群れる。我々人間と変わらない部分が確かにそこにある。どうだろうか、ちょっと人間味を帯びているように見えないだろうか。そしてどことなく一人一人が孤独であり、群れてはいるもののしっかりとした自分を持っている印象を受ける。

 

こちらの群れは、全くと言っていいほど心が通っていない。そもそも、興味がない。一人として他者を見ようとはしない。自分を貫いているのかもしれない。各々で方向性をぶらすことなく、存在している。こういう群れの在り方も良いと思う。

 

井戸端会議

これは井戸端会議的なものが開かれているのだろうか。カートの考えていることはいつだって私たちにはわからない。

 

もちろん特別仲の良い関係が生まれることもある。右の群れには混ざらず左の二人の間には絆が垣間見える。恋人同士だろうか?いや、ただの親友かもしれない。二人にしかわからない、私が想像をするのも野暮な話だ。

 

この二人は男女だ。振り向いてくれないカートに必死にアピールしているところだ。ただ、もしかすると振り向いてくれないカートはすでに振り向いていて、アピールしてくれているのをじっくりと観察しているところなのかもしれない。言わずもがな、振り向いてない方が女だ。もし逆だったらもうこのカートたちの関係は終わりが近いかもしれない。でも、何があるかわからない。女も男も、どんでん返しはいつだって可能だ。

 

バスが何台通過しようとも、見つめ合っている。絆は深い。しかしこの微妙な間は素人の研究員としては気になるところだ。お互い歩み寄れない儚く切ない気持ちがあるのかもしれない。

 

この二人はしっかりと時間を楽しんでいる雰囲気があった。もしかしたら親族なのかもしれない。双子だろうか。いい二人だった。

 

依存・共存

依存したり共存したりすること。依存や共存は時に沼だが、それで何かが救われるケースもある。関係性において、他者が否定することは安易なことかもしれない。

あとカートたちの依存において、バス乗り場前でも、ATM前でも、場所は問わないらしい。

 

合理性

これはもうとにかく人間の合理性に利用されてしまっているカート。ただゴミが乗せられているように見受けられるが、役に立てているから嬉しい部分もあるのだろうか。わからない。

 

これは美容院前の合理性カート。多分カートの利用主は今カット中。カートはどんな気持ちだろうか。もし、このように利用されて辛い思いをしているのだとしたら、少し救ってあげたくなる。でもご主人様を待っているような従順さがあるのかもしれない。わからない。

 

自転車になりたかったカート

 

残念ながら君は自転車などの乗り物にはなれない。でも憧れていたのだろう、突如自転車とバイクの並びに買い物カートが現れた。私はこの道を毎日通るが、かれこれ2ヶ月ずっと同じ場所にある。ある時からカートがひっくり返っていた。ひっくり返った方が乗り物に見えなくもないかもしれない。カートなりにもがいたのであれば胸が熱くなる。

ちなみに、カート右のバイクの黄色の七面鳥もある日見てみたら唐突に刺さっていた。この七面鳥は押すと音が鳴る。私以外にも多分鳴らした奴は絶対いる。

 

まとめ

カートは人間味を帯びている。もしかしたら、あなたの家の前にいるかもしれない。もし見かけたら、どうか、少しでも優しくしてやってくれないだろうか。

 

終わり。