ベトナム・ホーチミン市 街にいるホー・チ・ミン主席に関する調査

現地の人が全く興味を持たないものに興味を持てるのが外国人の特権だと思います。

2016年の春から1年ほどベトナムのホーチミン市に留学していました。滞在中に私が熱中したものは美味しい料理でもなく、アオザイガールでもなく、主たる目的のベトナム語学習でもありません。

興味を持ったのはプロパガンダポスターでした。

ベトナムは社会主義共和国なのでこういったポスターが街中にあります。原色中心の色使いにポップな色調とは正反対(!?)の社会主義ワード(建設、祖国、新しい農村、勝利、意思、実現、進歩、戦士、革命、団結、国土、代表大会、防衛、文明、全人民、成功、大成功…など)のギャップに「なんかええな」と思ったものです。

お土産品で上のようなメモ帳の表紙にプロパガンダポスターのデザインを施していることから、多くの外国人に一定の需要があると言ってもいいでしょう。実際にバックパッカー街にはポスターが売ってますし(誰がどこに貼るのでしょうか)、Tシャツもありますし(誰がいつ着るのでしょうか)、パスポートカバーなんかも見たことあります(誰が使うのでしょうか僕は使ってました好きやもん)。

このように社会主義の象徴たるプロパガンダポスターが資本主義ポップアイコンのように消費されているのです。

ただベトナム人の友達に実際にプロパガンダポスターをどう思う?と聞けばほぼ全員が「ダサい」と答えます。別に僕だって、党や政府の進歩的革命戦士文化現代勝利実現祖国防衛新農村成功成功大成功観に共鳴して興奮しているわけじゃありません。プロパガンダポスターの趣旨に反するけど、僕は外国人だしそれで心動かされることは求められていないはず。かといって含み笑いの視点でポスターを見てるわけでもない。確かにキッチュなお土産として消費されてはいるけど、周りの日本人で好んで写真を撮っている人もいない。

とすれば、ポスターで微笑んでいるホー・チ・ミン主席は僕しか知らない彼の姿なのでは?もっと僕だけの彼を知りたい!という独占欲とスケべ心で愛好していた側面もあることを告白しなければなりません。

ポスターには色々なものが描かれてきました。市井の人々や目指している近代都市のすがた、領土を守る基地、平和の象徴でもあるハトなど。その中でもベトナム建国の父とも称されるホー・チ・ミン主席に注目してまとめてみました。

ちなみに建国の父と称されるだけあって、ベトナムのお札は全てホー・チ・ミン主席が描かれています。教科書などで見る一番ポピュラーな姿です。ポスターではどういった姿なのでしょうか?

①やさしいホーおじさん

ホー・チ・ミン主席はカリスマ・英雄とも称される一方でホーおじさん(Bác Hồ・バックホー)という愛称で親しまれています。子供を抱きかかえ、笑顔のホーおじさんに「俺はエライんやぞ!」という雰囲気はなく、戦後世代のことも考えているようにも見えます。

しっかり口角のあがってるホーおじさん。ナイスガイです。偉人はいつも真顔であるべし、なんて教科書通りのルールはありません。神格化しすぎず、人間味あるように描いている点が僕は好きです。下のベトナム語は2016年に行われた選挙に関する告知文。

こちらも子供と一緒にいるホーおじさんですが、カジュアルに描かれるあまり見た目はギャグ漫画に出てきそうな気のいいおじさん風。撮影場所はダムセン公園という住宅街に近い遊園地前のバスターミナルで、多くの人目に触れることが予想されます。書いている言葉は”大勝利した日のホーおじさんのように”と。

②集中線で囲まれたホーおじさん

おもしろいWebサイトか?と思わせる集中線の真ん中に映っているのはホーおじさん。市内でも交通量の多いラウンドアバウトの手前にある看板なのですが、人目に触れられるとはいえ危ないからやめてや…とも思います。まあ誰も見ないからいいんですけど。

③ワイプでくり抜かれたホーおじさん

親しみを込めてホーおじさんと言われていますが、やっぱり偉人には変わりありません。人民が描かれている場所とは別次元で微笑みかけているのもよく見られます。描かれている人たちの目線があってないことから全員が別の世界にいるかもしれませんが…

撮影地はホーチミン市の隣にあるビンズオン省トゥーザウモット市だと記憶しています。左後ろのマリーナベイサンズみたいな建物が新しい庁舎です。

劇場の人気芸人全員が出演するライブのフライヤーみたいな賑わいがあってこれも好きです。手前のピンク色の服を着ている先生が持っている本をよく見てみましょう。

“”””Giáo Án””””

シラバスですね。学習指導要領なんかを書いた本であると思われます。しかしGiáo Ánなんて書かなくても、より先生っぽく描くか教科書っぽく描けばいいはず。そこを文字で描ききるところからプロパガンダポスターに美術的観点を持ち込むのは野暮だということかもしれません。

都市労働者も農民も子供も少数民族も同じ仲間やで、とだいたい分かればいいんです。重要なのはあくまでメッセージ。下に書いているベトナム語は「偉大なるホーおじさんの鏡に従って生きて、戦い、労働し、学習せよ」です。

よく見る構図です。背景右の大きめのタワーはビテクスコ・ファイナンシャルタワーという中心部に立っているちょっとしたランドマーク。

こちらのホーおじさんもワイプの中にいます。彼を囲んでいるピンク色の花びらはベトナムの国花である蓮です。

④ハンコになったホーおじさん

偉大なるホーおじさん、子供を抱いて笑うホーおじさん、集中線で囲まれたホーおじさん、ワイプでくり抜かれたホーおじさん…描かれかたは違えどポスター上では生身の彼が確かにいました。

彼と我々は時を共有していたはずなのに!彼はハンコとなり、記号としてポスター上に現れたのです。でも彼と時を共有しているかどうかなんて瑣末な問題だと思いませんか?心の中でホーおじさんは永遠に生き続けているのですから。心なしか他のポスターよりも人民の描かれ方がいきいきしているようにも見える。真正面ではなく上方を、いや未来を向いた目線。その先には躍動するベトナムがあるに違いありません。途中で切れているけど描かれている言葉は「いい暮らしが送れて、文明的で、現代的なホーチミン市を建設する」と。これは誰しもシビれる一文でしょう。

⑤若かりし日のホーおじさん

「こいつ誰だ?」と思って複数のベトナム人に聞いたところ次のような返信が返ってきました。

グエン・タット・タインやで!!

いや誰やねん、とつっこむのは早計です。ホー・チ・ミン主席は生まれたときはグエン・シン・クンという名前でした。青年期はグエン・タット・タインと名乗り、1942年8月13日まではグエン・アイ・クオックとして活動していました。。

ただWikipediaによるとこの写真の時はグエン・アイ・クオックらしいです。

photo by Nguyễn Ái Quốc – Hồ Chí Minh – Wikipedia tiếng Việt

ホー・チ・ミン主席本人とホー・チ・ミン主席の大ファンによるマニアッククイズ大会ならまだしも、一般人がグエン・アイ・クオック時代の彼をグエン・タット・タインと間違えるのは大した問題ではないと思います。

⑥横顔でそれとなく描かれたホーおじさん

今まで例に挙げてきたポスターとの大きな違いがあります。使われている色が赤、黄、青、白の4色だけです。命も言える赤色を少なくしてホーおじさんを非常にスタイリッシュに描いています。もしかしたらおじさん史上で一番カッコいい描かれ方ではないでしょうか?

⑦原点に回帰したホーおじさん

度肝を抜かれることなんてそうありません。でも元の写真をちょっとカッコよく加工しただけのホーおじさんを見た時は度肝を抜かれました。今までなんとかして創作で笑わせてきたのに…しかし凛々しいホーおじさんを見ることができたのでOKです。

番外編:こんなところにも?ホーおじさん

この裏にバスの時刻表が書いています。高校の倫理か現代文の授業で聞いた神の視点は遍在する、という言葉を思い出しました。唯一神を信仰するとき、神の視点が信者に内面化される…みたいな話だったと思います。ただバスの時刻表の裏に描かれたホーおじさんを見たときは「いやまんまやん!字義通りやん!」と心の中で呟きました。

 

以上が「あなたの街にいるホー・チ・ミン主席に関する調査」です。

私が滞在していた2016年がちょうどベトナム南北統一40周年だったので、それに関連したポスターが多くありました。ただ後輩に聞いたところ同じで図案のポスターは見なかったらしい。翌年は41周年になるから当然の事かもしれない。

定番のデザインや名作扱いされているポスターは数多くあるかもしれません。一方でポスターの地方公募があったり、建て替えた庁舎が描かれていたりすることから図柄に地域差があったり、定期的に新しいポスターが生まれているのも確かなようです。流行り廃りがあるのかもれないですしね。

年によってデザインが変わること、新しい庁舎があるところにはそこにふさわしいポスターが貼られていたり、農村部には農村部でしか見ないキャッチコピーが見られました。全国津々浦々を見て回れば同じ顔でも異なる文脈上にいるホーおじさんがいるかもしれません。ホーおじさんは遍在します…

もしベトナムにお越しの際はポスターの写メを集めてみてはいかがでしょうか。あわよくばネットにアップしていただけると嬉しいです…!