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ネーブルの皮は固い。爪を切ったばかりで尚更だ。二つ折りにした市政だよりはまな板になるが、刃物の代わりになるもが無い、しかたないペティナイフを買ってきた。
『芸術とは何だ』
親類よ物資送ってくれるのは有り難いが、物資にまつわる設備費用を捻出させるようなものは御免被りたい。固いネーブルのために買ったナイフもそうだが、缶切りを持ってないのに蟹の缶詰、せいろを持ってないのに芋、炊飯器をもってないのに米など。
炊飯器を当然持っていると買いかぶってくれてるのは有り難えけどな。湯だ。湯なら沸かせっから、湯注ぎのみで完成する物資を送ってくれ。追伸・私はアロワナを飼うことを決めました不良になったので。
上述の通り、侘び寂びも人への愛も感謝もせいろも持ってない薄情なこの私ですら、日々の折々にふと思うことがある。
「芸術とは何だ」
ペティナイフは勿論、森羅万象が売ってある100均にすらその答えはなかった。私ですら疑念するのであれば、真っ当な皆さんなら必ず一度は思ったはずです。「芸術とは何だ」スクロールの先にその答えが載っていればいいのだが果たして・・・。
壁にのさばるはこの落書きは芸術なのだろうか。こういったものは権威への反抗として描かれる場合が多いといわれるが、別にそれも感じない。ただの落書きの可能性がある。
これを描いた本人らも「いっちょ芸術拵えたろかい」など思ってもいないだろう。「DOPEなん描いたろ」ぐらいのささやかな気概は込めたのかもしれないが、読み取れるものといえば犯罪としての逸脱性であり、それを奇抜とはき違えた愚かさぐらいである。
しかしこういった類の落書きをグラフィティ・アートと、文化的言い回しによって匿う向きもある。アウトローに憧れていた中学時の私であればもしかすれば、手放しにかっけえじゃんかと礼賛を送っていただろう。
芸術とは、その日その時期の趣味趣向や体調などで決まるものであろうか?
むむむ?あら!?
「芸術とは、その日その時期の趣味趣向や体調などで決まるのであろうか?」早くも答えらしきものが。
「芸術とは対象の側になく、対象との向き合い方の中にのみ存在する」的な、割りと聞いたことがあるような無難な解答を一番最後に置くつもりだったのに「芸術とは、その日の体調」だったなんて・・・。
人類が長年抱いていた「芸術とはなんだ」の答えもわかったので今回の特集です。
今回はVICE回
そしてここは高架下
あの長方形はなんだ。
言わずもがな落書きを消した跡です。
さきほどの壁の落書きとの比較に過ぎないのですが、こちらの方がよいねえと私は思います。といっても、はじめに行為者による落書きがなければ、これ自体も存在し得なかったので、塗装を行った作業者と落書き行為者による因果な合作です。
芸術とは何だと疑問していたにも関わらず、それを飛び越え芸術よりも優れたものを見つけてしまった気分です。
時点ではこちらの方が伝わると思い便宜的に「落書きを消した跡」と呼称していきます。
こんな味気ないシカッケー取り上げるほどのことですかねえ、という意見もありましょうが、まだ2月です温かい目で見てやってください。
この落書きを消した跡は、充分に鑑賞に耐えうる、作品足り得るべきものです。
なぜなら
カッコイイから。
タダで見れるし
それにこうして讃えることにより、落書き行為者に屈辱を与えれます。お前の落書き、それを超える抽象絵画に封殺されてたぞと。絵画的に優れている云々よりもそれが一番の目的かもしれません。
なにより美術館が苦手な方にはうってつけです。
私は美術館に行っても、絵画を見ている自分を他の誰かに見られている事の方が気になって、うまく鑑賞できないのです。虚栄を見すかされているようで。
しかしこの落書きを消した跡は、高架下に行けば大抵あります。勿論入館料ありません。まさか高架下まで来てこれを鑑賞しているとは誰も思はないため、その自意識を傷めずに済みます。作者も無名であるためキャプションなどなく、あの美術館あるある、
キャプションに記されてあった作者名を目にした途端「ああこの人ね、なら名作ですわな」と価値の定まったものにへつらう自分が嫌になる現象
に陥る心配もないです。
メッセージ性などないから構える必要もない。
この落書きを消した跡に「景観保全のため、落書きを塗りつぶした」以上の側面はありません。おそらくこれを作成した作業者自身も文化的価値を込めてはいない。
あるものといえば、しっかりと景観保全という実利をこなしている最中のこの塗装に絵画的側面を背負わせ、記事として取り沙汰にし、ついには礼賛しようではないかと喧伝する人間がいるだけです。野暮な話だ。
壁の落書きが見えなくなったことを喜ぶ、も可能ですがそれとは別にそこに絵画的側面を浮上させて鑑賞することも可能にしようってことです。
本当は何もない綺麗な壁面のままであることが、周辺に住む住民にとっても一番望ましいことですが。今与えられている理不尽は、屈折した形で有難がりましょう。それがこの意味も愛もせいろもない世界で生きるたったひとつの方法だ。今年もよろしくお願いします。
まずは、この落書きを消した跡を収集していると、大まかに3つのタイプに分けれることが判明したので紹介しましょう。
まずはかさぶたタイプです。
かさぶたタイプの特徴は落書きのみの塗装を目的としたタイプです。そのため落書きのシルエットが丸見えになるのが特徴です。傷口にその形のまま覆い被さるかさぶたと似ているためそう命名しました。
これは落書きをそのままなぞっているだけなので、結果的に以前あった落書きの色違いを作成してしまっています。しかし壁の色と同系色っちゃ同系色なのでよしとしたのでしょう。
このかさぶたタイプは非常に下地と近い同系色で塗りつぶしているため、視認性が低くなっており景観保全を果たしています。
まずまずの成功例です。古谷実の最高傑作、ヒミズに出てきた一つ目の怪物を思い出しますね。
よくわかんないことになってますが、たぶんかさぶたタイプですね。
かさぶたタイプは経済的に落書きを消すことが出来るのですが、落書きのみの塗装を目的にしてしまっているので、かえってここに落書きがあったと歩行者に強く意識させてしまうデメリットがあります。全3タイプのなかでも芸術性は低い位置にあります。がんばってください。
次は今回一番多く発見することのできたスタイリッシュなやつ
ミニマルタイプです。ミニマルアートっぽいのでそう命名しました。おそらく世間的にもミニマルタイプが一番頻出していると思われます。ミニマルタイプはきっちりと規則正しい輪郭をしており、落書きの表面積を超える表面積で落書きに覆い被さります。それなのに意外と目立ちません。
傍を通る歩行者から看過してもらえるのは、丸や三角形などの象徴的ではない形のためでしょうか。
不思議なことに四角形って存在感のない形なんですね。
コミニケーションの切断を希求するようなつれなさがミニマルタイプにはあります。
初詣に誘っても来ないのはもちろん、簡易裁判所からの出頭命令ですら無視する感じの。そりゃスポッチャに誘っても来ないわけだ。右隣にニョロニョロがいます。
次は巨匠の再来を思わせるタイプ。
抽象的なタッチのロスコタイプですマーク・ロスコの絵画に似ているためそのまま命名しました。特徴はスプレーで塗装したかのように輪郭がぼやけているところです。
ミニマルタイプと形はほぼ同じ四角形なのですが、タッチがぼんやりとしているせいなのか、景観に馴染みやすいという特徴があるように思われます。
マーク・ロスコを存じ上げない方は今すぐ画像検索してみてください。結構似ています。形こそミニマルタイプのようにくっきりとはしていないのですが、歩行者に良い意味で見咎められないその記号性はミニマルタイプと同じです。それなら2タイプだけでよかったやんけとか言わないでネ。
伝わることを優先して「落書きを消した跡」と呼称していますが。正確には「消し」てはいなくて、塗りつぶしです。
当然のことですが「消し」と「消したことにしておく」は全く別物です。文具で言うなれば、前者は「消しゴム」後者は「修正テープ」といったところでしょうか。
使用によって得られる結果が似ているせいか、実は混同しやすい、いや、私達は積極的に混同しているのではないのか?というのがわかってきました。
実際に「消し」が行われていたのだとしたらそこについての認識は出来ません、だって消えているから。消えてないものにこそ「消したことにしておく」という判断を下せるのは、そうすることによってこちらに都合がいい場合がほとんどです。
今回の場合、塗装による上書きで、落書きを「消したことにしておく」と住みやすさ、景観保全の観点から好都合、ということです。
作業者からすれば「消す」より塗りつぶして「消したことにしておく」ほうが工程が短く済む、というのも理由だと思います。
例えれば、人形浄瑠璃の黒衣。視野に入っているのに意識的に遠ざけて見えなくする事によって鑑賞が可能になります。
それと同様に私達歩行者も落書きを消した跡を記号的に捉えているんですね。
今回発見できた中でかなり記号性というものに頼った異色のミニマルタイプを発見したのでマジ見てほしい。
禍々しみもさることながら、これがよいのは、
落書きを塗りつぶした作業者が、私達歩行者を信頼し「これでよし」にしたところです。私達歩行者は落書きを消した跡を生活者としての経験知から「落書き抹消完了」の記号として捉えています。
かつてこの黒いミニマルタイプの下には、落書きがあったのだなと経緯を仮定することによって看過しているんですね。
例えば、このミニマルタイプの下に実は落書きなどなく、ミニマルタイプを模した落書きであったとしても看過してしまうと思います。
それほどの強い記号性を私達歩行者がこのミニマルタイプから見出してくれると信じて、作業者の方は落書きを塗りつぶしています。
落書きを隠しているってことだけが記号的に伝わればいいので、真っ黒な色については意識されない、と踏んでるのがイイネ!と言いたい。
しかし巷には落書きを消した跡が放つ強い記号性を、遠慮なく無視してしまえる輩がいます。
こういうことです。
そう、全てのことの発端である落書き行為者によって、キャンバスとしての側面を見出されているのです。こういったケースはめちゃんこあります。
だからって野放しにできっかよ。
やられたらやり返すミニマルタイプで。
でもこれはこれでカッコイイ。
ミニマルにミニマルのせ。
これはミニマルにロスコをのせてますね。
これはロスコにミニマルのせてますね。
ミニマルにミニマルのせてます。
こりゃあ熾烈に戦ってますね。ミニマルにかさぶたのせて、さらにミニマル、といった感じに。なぜか向こう側にも同じ風になってました。
マインクラフトの豚みたい。
理解の一助になると思い、この戦いの歴史を想像で繙いてみました。
一枚一枚捲ってみるとおそらくこうなっているのでしょう。
ミニマルタイプの下の落書きは、私が普段から使っているアイコンのドクロを代用しています。かさぶたタイプがダチョウのようなシルエットをしていたのでおそらくそのままダチョウが居ます。これ意味ある?
最初から絵を描いておくという逆転の発想的対策をとっている壁も発見しました。
流石に小学生の絵の上には描けないよね。
かわいい魚たち宇宙にはきれいな星がたくさんあるね
真実が書いてあって咽び泣きました。
あらかじめ描いておいて、更にフェンスで囲うというのもありました。
スポーツしてます。
これはどっちなんでしょうね?。
これはこういうやつ!?それとも!?
まとめ
落書きは家でやろう!
最後は、真相が解らずに終わる塗装の下はなんだろなクイズで終わりましょう。
この塗装の下にはどんな落書きがあるかみんな想像してみてね。
ちなみに私は
靴だと思います。
バイバーイ!